昭和3年頃の阿波池田駅 (ホーム待合室の掲示写真) 
 2015(平成27)年2月に、創業51周年を迎えたNISMOCブランドで知られる国産杉板専門メーカー西徳木材株式会社(徳島県三好市池田町中西ナガウチ274、長瀬光宏社長、電話0883-74-0911)を訪ね、長瀬社長(写真)に主力に生産する杉のフローリングや壁板、一般建材加工について聞いた。

   
 製材を生業で考えると、原木を製材する工場は意外に創作するものが少ない。極端に言えば丸太を角材か板材に挽くだけ。その角材は柱として仕口をプレカットすれば構造材になる。板材は幅や厚みの加工で住宅部材や足場板に使う。その中からフローリングを主力に加工する身の丈にあった経営に心掛けている。
 工場の設備については、新しい機械の導入も必要なことだが、その前に本職である製材加工の流れを如何に歩留り良く効率的にするかを絶えず考えている。いわゆる木取りラインに問題は無いか、排出する端材の処理に無駄はないか、そして天然乾燥の干し場の状態など見て回ることを怠らないように努めている。そうすることで何が必要になるか先が見えてくる。必要な設備となれば、その点は即、対応できるようフレキシビリティ《Flexibility=柔軟性》に考えている。
 ちなみに同社では、設備投資に向けた資金調達に、2012年、商工中金の引受元で5000万円の無担保社債(3年償還一括返済)を発行。2013年7月、阿波銀行の引受元で1億円の無担保社債(同)を発行。2015年9月、商工中金と阿波銀行の間で、それぞれ1億円の無担保社債(同)2億円を調達、資金の使途は主に生産設備の増強に向けるという。

原木、ご飯に例えれば一粒も残さずに
 加工工程から出る端材は、モルダー各機から出る屑はボイラへ熱エネルギーに、オガ粉やチップは一括して業者へと。要するに工場へ入った原木は、御飯でいえば一粒も残さず、全て有効に活かして使うことを念頭に置いている。
 製品は、商社を通してホームセンターや工務店へ、そしてエンドユーザーへ、今、何が売れ筋なのかは気になるところですが、多品種を揃えて対応しているので、オーダーにはジャストインタイムで納入できる体制を整えている。
 今、地方創生のキャッチフレーズのもとで、製材工場は森林資源活用の場であること。とくに四国の杉の特性は、優れている素材であるから、地元に根差した住宅用建材は元より再生エネルギーや雇用の場として、地域ぐるみで活性化の源泉になるように願っている。その一端に身障者の方も雇用して作業に携わってもらっている。作業に応じては健常者と何ら変わらない。工場従業員の平均年齢も30代後半と、若くて元気の良い工場に高めていきたい。
多品種の杉板建材を開発
 杉の木の今昔、戦前から戦後間もなくは良質な原木を板に挽き、樽や牛乳箱、或はコンクリート枠の幕板などかなり単純な作業工程で量産していた。その後、建設ブームへと時代が移り、足場板を量産する産地として名を馳せた。しかし、足場板も軽量鋼製へと移り変わり需要も激減したが、ここにきて床板やデッキに応用するなど自然志向に木は見直されている。その切掛けは、平成15年にホルムアデヒドなどの発散を建材や家具に規制する法律が施行された。業界団体の表示もF☆☆☆☆(フォースター)の表示が義務付けられた。幸いに木材は化学物質を含まない自然の材料だから、住宅や施設向けに多品種の杉板建材を開発する展開になっている。
 注:F☆☆☆☆(フォースター)の表示が義務=シックハウスを防ぐには、住宅内にVOC(揮発性有機化合物)を放出させない。それにはVOCを含まない天然建材の多用が最適となる。
長瀬光宏氏プロフィール
昭和43年7月 三好市池田町生まれ
 〃61年3月 徳島県立池田高等学校卒
平成 2年3月 東京理科大学理工学部卒
 〃 9年1月 地元に戻り西徳木材㈱の経営に携わる
趣味/家族・社員の幸せ
好きな言葉/人事を尽くして天命を待つ
会社の方針
1. 基本に忠実andスピード、変化(早く、正確に、応用に)
2. 全員が同じベクトル(社員は家族であり、全員野球)
3. 会社の繁栄無くして福利厚生なし(目標達成)

生産量
各種フローリング及び板物、壁板 約1.000㎥/月
原木消費量 約16.000㎥/年

会社概要
設立 昭和39年2月
資本金 6,000万円
年商 5億円
従業員数 31名(パート含む)
本社工場 徳島県三好市池田町中西ナガウチ274-1
中西工場 徳島県三好市池田町中西
乾燥場  三好市池田町州津、同町シマ
会社沿革
昭和39年 西徳木材株式会社設立
41年 7月 桧床板、杉加工板本格的製造
48年 7月 国産材杉板専門工場建替建築
57年12月 資本金2000万円に増資
平成9年8月 事務所新築
13年 4月 天然乾燥専用土場設置
13年 8月 加工品第1作業所建築
14年12月 加工品第2作業所建築
15年10月 資本金4000万円に増資
19年 2月 資本金6000万円に増資
21年 3月 乾燥装置増設及土場整備
23年 2月 サンダーライン及木屑焚ボイラ設備
24年 4月 製材機械及太陽光設備
25年 4月 製品倉庫建築、オートテーブル本機入替
26年 7月 リングバーカー及横バンドソー導入
国産杉板専門メーカーの西徳木材㈱を訪ねて














 工 場 見 て 歩 き

土佐材の流筏(りゅうそう) 西徳木材㈱のアルバムより
 土佐藩では、藩財政を支えるため吉野川源流域の豊富な木材(白髪山一帯の檜が中心)を伐採して吉野川に流し、河口の撫養(むや)港から大阪へ船で運んだ。しかし、出水時の材の流散や田畑の被害が大きかったため、徳島藩(領民)との対立を招き中止されている。この流筏は、藩政初期から昭和初期まで180年間続き、河口の徳島木材市場などの発達を促し、流域林業の発達に大きく貢献した。

写真:昭和10年、池田町白地付近
撮影:故・辻隆道氏=著書:「人間工学から見た林業労働」、「国有林野事業における安全管理その実態とあり方」
ほか日本林業技術協会
西徳木材に隣接する三縄駅を通過する特急電車(JR四国・土讃線)
徳島県三好市の概要
 徳島県三好市は、平成18年3月、三野町、池田町、山城町、井川町、西祖谷山村、東祖谷山村が合併し誕生した。四国のほぼ中央に位置し、古くからこの地域は交通の要衝(ようしょう)として、県西部の社会、経済、文化、観光の中心として発展してきた。
  三好市には、大歩危(おおぼけ)峡や黒沢湿原、紅葉の名所・竜ヶ岳、四国第二の高峰・剣山といった豊かな自然や、四国霊場第66番札所・雲辺寺、平家落人伝説の残る祖谷(いや)のかずら橋など歴史的文化遺産がある。
 また、阿波踊りや祖谷平家まつり、雪合戦四国大会などのイベント、井川スキー場腕山やラフティングスポット、妖怪屋敷、温泉などの施設もある。
 市では、近年の高速交通網の整備と相まって、
これらの豊かな資源をもとに「自然が生き活き、
人が輝く交流の郷」をキャッチフレーズに、
交流と連携の拠点を目指している。
人口 約28.400人。

三好市URL http://www.city-miyoshi.jp/

みよしの森 
http://www.awa-miyoshi.jp/
リングバーカー/製材機1号機/同2号機 (㈱石田エンジニアリング)
自動横切り装置
サンダーライン(アミテック㈱)
モルダーライン
4軸横切りソー
熱圧ロールプレス
節穴の補修は手作業で
傾斜桟棚で天然乾燥
杉ムク板のフローリング
杉ムク板の足場板
西徳木材株式会社 http://www.nismoc.com/

 初夏の塩塚公園 / 観光名所の大歩危(おおぼけ)峡 写真:三好市観光案内
 徳島県立池田高校野球部の監督として春2度・夏1度の甲子園制覇。攻撃的な野球スタイルから「攻めダルマ」と呼ばれ、
強力打線は「やまびこ打線」と呼ばれた。
 1952(昭和27)年、池田高校野球部監督就任。1971年夏に甲子園初出場。1974年春には「さわやかイレブン(部員11人)」旋風を巻き起こし準優勝。1982年夏に初優勝。翌年の1983年春も優勝し、夏春連覇達成。
 1992(平成4)年40年間の監督生活引退。甲子園春夏14回出場、通算37勝11敗。

写真:阿波池田駅前に監督の在りし日の記念フォトが今も人目を引いている。
 阿波池田駅(あわいけだえき)は、徳島県三好市池田町サラダにある、四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の駅。三好市における主要駅であり、全特急列車が停車する。
1970~80年代甲子園を沸かせた徳島の池田高校
      監督 蔦 文也(つた ふみや)氏 (1923年~2001年)
土讃線 阿波池田駅
現在の阿波池田駅
徳島県立池田高等学校(昭和51年3月新築工事竣工)
                                                               Woodfast '15-11
写真資料:ウィキペディア、三好市HP、池田高校HP